EPISODE0

昭和20年〜昭和44年(1945-1969)

立教前夜 初代管長による救世開拓布教きゅうせいかいたくふきょうの始まり

代管長・谷元こくげん後藤英男先生が、明主様のお道に邂逅かいこうされたのは、終戦の年・昭和20年15歳の御時おんときでした。そして17歳の御時、憧れの伊勢の地にて、一人の知己ちきもない河芸かわげ郡白塚町で開拓布教を始められた谷元先生は、誠一筋ひとすじに病貧争に悩む多くの人々をお救いされ、やがて津市大谷町に教会をかまえる程の発展をげられます。昭和30年、明主様が一旦天界いったんてんかいへお帰り(御帰天ごきてん)になられたのちも、谷元先生の明主様を求める情熱の炎はおとろえませんでした。

EPISODE1

昭和45年〜昭和55年(1970-1980)

明主様の御神霊が五六七みろく大神おおかみとして救世神教に御復活

帰天後も、誠をくして、明主様にお仕えされていた谷元先生は、昭和45年3月3日、明主様の御神霊が再び地上に天降あまくだられ、天国建設のためにお働き下さる 「御復活ごふっかつ」の大神事をその身に受けられ、救世神教が立教されました。
 明主様は「桃の花いはふ三月三日のいはれ世人さとらむ時ちかみけり」など、御在世ございせい時、桃に関するみ教えや 御詠おうたを数多くおのこし下さっており、本教誕生の予言とも拝察はいさつできます。
 47年には三度目の御神殿を建設しましたがすぐに手狭てぜまとなり、新しい「聖地」を求め始めます。その調査の折、候補地の一つに大光芒だいこうぼうが写る奇瑞きずいが現れ、相次あいつぐ奇蹟に導かれて、神恩郷開苑かいえんへの道が開かれていきました。

新聖地の候補写真に写った大光芒

EPISODE2

昭和56年〜平成元年(1981-1989)

聖地・神恩郷が開苑され、明主様御生誕百年祭へ

央の文化を地方へ—谷元先生は 新進気鋭しんしんきえいの建築家・黒川紀章きしょう氏に神教会館の設計を依頼され、昭和56年、三重県津市神戸長谷かんべながたにの地に聖地神恩郷を開苑しました。明主様ご生誕百年の翌57年には、明主様の御姿おすがたを写し謹刻きんこくされた御神像をご奉斎。61年にはその御神像がおしずまりになる教祖殿(現・五六七殿)が、千年ひのきをはじめとする最高の御用材で建設されました。63年には自然農法にEM(有用微生物群)を導入どうにゅう。昭和の終焉と共に平成元年1月26日、谷元先生がご昇天されました。

明主様の御愛車キャデラックが初展示された

EPISODE3

平成2年~平成10年(1990~1998)

二代管長就任から、神恩郷基本設計マスタープランリニューアルへ

崇比古たかひこ二代管長の就任しゅうにん3年後、ニューヨーク在住の芸術家・井上一朗氏を介して、彫刻家・イサムノグチ氏のパートナー和泉正敏氏とご縁が結ばれ、平成5年に「瑞雲ずいうんの滝」が完成。また、10年には数寄屋すきや建築の第一人者・中村昌生まさお氏監修の茶室棟「光風亭こうふうてい」が完成。境内の整いと共に神恩郷の基本設計マスタープラン再構築への機運が高まり出しました。

校倉あぜくらをデザインした瑞雲の滝が参拝者を迎える

EPISODE4

平成11年〜平成14年(1999-2002)

21世紀への掛橋かけはしとして「光明台こうみょうだい」建設

成11年、瀬戸内海の太郎島にて後藤崇比古管長は、後年、天空の庭に「天之磐座あめのいわくら」として入来する巨石と出会います。それは神恩郷が芸術郷へと進化する前奏曲プレリュードでした。
 平成12年、立教30周年を迎え、明主様に和泉氏の手による日輪基壇を奉納しました。翌13年には光明殿(現・五六七殿)が基壇上に遷座せんざされ、平成14年、第120回御聖誕感謝祭において桃天蓋とうてんがいが奉納されて、世紀をまたいで「光明台」が完成しました。ここは悠久ゆうきゅうの時を過ごす石の基壇、千年ひのきやかた、そして最先端の建築用材の天蓋と、多くの叡智えいちが結集された「世界の神床かんどこ」です。

五枚の神礎石を配した日輪基壇

EPISODE5

平成15年〜平成24年(2003-2012)

御型みかたちととのい「天空の庭」御造営へ

輪基壇である「マル」に明主様御神像の「チョン」が加わり、天国建設の御型みかたちととのう—そこはまさに開苑前、大光芒だいこうぼうが現れた場所でした。そして平成24年、ゴルフ場建設反対によって守られた神恩郷奥庭に、光明台とついをなす御徴紋みしるしもん宿やどした天之磐座あめのいわくらを中心に、あまがわ銀河を地上に映したような「天空の庭」が完成しました。また平成20年には、宮脇昭みやわきあきら横浜国立大学名誉教授の指導による「植樹祭」を開催。神恩郷が自然美と人工美を融合した、真善美の整いを見せ始めました。

雨に浄められた天空の庭に昇る朝日

EPISODE6

平成25年〜平成29年(2013-2017)

神恩郷が「光と農と癒しの芸術郷」へ

然農法産野菜の大量供給を目指し、平成25年、しんせん直営農場サンシャインファームの作付けを開始。翌26年に中田邦子薔薇研究所代表の指導・監修かんしゅうもと、EMによる自然農法バラ園を造園して以来、神恩郷は「光と農といやしの芸術郷」としての発信を開始しました。
 平成28年には神教会館前にプラザが完成。29年からは自然農法スパークファーム方式の米作りを始め、また、未信徒にも広く自然農法の野菜を知ってもらおうと、「自然農法きらきら夏野菜フェスタ」が始まりました。

新春のプラザで熱唱するオペラ歌手

EPISODE7

平成30年〜(2018-)

ミロクコミュニティ体制整えNEXT50へ

教50周年を2年後に控えた平成30年、教団は組織を一新し、「ミロクコミュニティ救世神教」として再スタートを切りました。北は新潟から南・西は和歌山・高知、海外はフィリピンと、東海圏を中心に広がる45MC(R元年6月現在)を拠点にして、
世界へと明主様の教えを発信してゆきます。「光と農と美で築く!NEXT50」をスローガンに、50年先、100年先、1000年先の未来に通用する、自給自他足の自然農法を柱とした食コミュニティを築きます。

子供たちの未来を守る食コミュニティを作る